ネパール大地震 活動記録

述べ派遣人数:50人
支援内容:物資
活動期間:2015年5月30日〜6月2日(4日間)
派遣先:ネパール
※日本ステンレス工業(株)による活動

災害データ

2015年4月25日 ネパール大震災
M8.1
最大震度5強

ネパール大地震

現地時間2015年4月25日11時56分にネパールで発生した地震は、死者8,964人という大きな被害をもたらしました。
日本ステンレス工業(株)は地域文化活動の一つである紅富士太鼓での演奏活動がきっかけにネパールとの交流を続けており、その10年目を機に大地震前年の2014年11月1日に、ネパール政府からNGO法人として認可を受け「ネパール日本友好協会」を立ち上げていました。
こうした長年に亘るネパールとの親交により、復興に向けて最大限に力を貸したいとの思いから、惜しみない支援活動に取り組みました。

大地震発生から約1ヶ月後の5月30日に初の海外ボランティア隊として10名で日本を出発。
羽田出発からタイまでは約7時間。早朝4時半頃にトリブバン国際空港に到着。4時間半の待ち時間を経てネパールまで3時間半。飛行機に乗り始めて到着まで約15時間を要して到着しました。

ネパール日本友好協会・グランドワーク三島・都留文化大学ボランティアより計10名で参加しました。

ネパールの空港に到着

空港には支援のための物資が山積みになっていました。
日本においての災害時でも同様ですが、緊急物資はほとんど市民には直ぐには行き届かないのが現状です。
被災地においては道路は寸断され、家屋やビルに生き埋めにされた遺体の捜索、倒壊した家屋や道路の整備、水道設備などのインフラ整備で役所は動きが取れません。
政府も役人も被災者であり、物資がいくら入ってきても配送が行き届きません。

地震による被害の様子

5月30日

トュリケル広場訪問

広場にテントを張って避難生活を送っています。

現地の簡易トイレ

地面に穴を掘っているだけのトイレで、広場のまわりには異臭が立ち込めています。衛生状況は良いとは言えません。

ナガルジュンRC訪問

物資の支援のために、地元ロータリークラブとも連携を図りました。
日本から持ち込んだ物資と義援金200万円を手渡し、米・大豆・小麦粉・トウモロコシ粉・砂糖・塩などの食料を事前に準備をして頂きました。さらに、各学校への教科書、筆記用具、カバンなどを購入し配布しました。

5月31日

大型バスをチャーターし、マヘンドラ・B・パンディ・ネパール ネパール外務大臣同行のもと、カウレ村を訪問しました。現地の医療団と共に約1,000人の被災者へ2週間分の食料・医薬品・衣料品・テント20個・簡易トイレ3基・衣料品等の共同支援をしました。断崖絶壁の山々を越えて、到着まで片道6時間かかりました。
山々には日本のようにガードレールらしきものは無く、道路はデコボコ道でした。途中、昨日までそこになかった大きな石に道を塞がれました。つい先ほどの余震で落ちてきたようです。全員降りてトラックを押したりもしました。崖下に落ちている車も目に入ります。日本と違い、物資や道路整備にしても、地震から1ヶ月以上たっていてもほとんど支援がないのです。途中の集落はどこも壊滅的な様子でした。

カウレ村

そんな道のりで6時間かけ、ようやくカウレ村に到着しました。カウレ村には警備も含め軍隊・外務大臣も参加してくれました。
村人たちは、辛うじて被災を免れた家に仮住まいして貧しい生活をしていました。軍隊のお陰で混乱もなく、村全体の方々に一人一人物資を配給でき、医療団も無事に治療に専念することが出来ましたが、ともすれば、物資の奪い合いなどが起きても不思議ではない状況でもあったのです。
大地震から一ヶ月以上が経ち、避難生活に疲れが見え始めているようです。
簡易バイオトイレ3基を手荷物で持ち込み、寄附しました。

6月1日

カトマンズ市内にある小学校にて支援物資の支給をしました。
通学カバン100個、筆箱一式、ノート一式、色鉛筆一式、医薬品・Tシャツ等の配布をしました。

バル チェタン小学校

セルバ・ハドゥル・リュウバ元首相会合

いつ余震が来るかわからない状態が続いているため、事務所の裏にはテントを張っているそうです。

ザワセナ高校訪問

トリブバン大学の姉妹校に20万ルピーの支援金を寄附しました。

アルジュンクマールマルキ書記官 会合

ネパール国立トリブバン大学調印式

ネパール日本友好協会が橋渡しとして、グランドワーク三島と大学が人材交流を柱とした協定調印をしました。

6月2日

ナーヤアーヤム総合大学(nami)との協議書調印式

ネパール日本友好協会が橋渡しとしてNPOグランドワーク三島とナーヤアーヤム総合大学との交流を締結しました。
ネパールではNPO団体と大学が締結するのは初めてとのことで、ネパール日本友好協会で今後完全サポートしていきます。

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