新潟県中越地震と新潟県中越沖地震。わずか3年で再び震災に見舞われた地域。

阪神淡路大震災からおよそ10年後の2004年10月23日、M6.8、震度7の新潟中越地震が発生しました。阪神淡路大震災と同じく観測史上2度目の震度7を記録する大地震でした。この時も私どもは不安を感じながら、発生から10日後の11月3日に長岡市に向かいました。

震度6強が観測されたこの地域の被害の様子は、途中の車中から見た光景も長岡市内も、見渡す限りその尽大さを物語るものでした。
ただ阪神淡路大震災の被災地であった神戸のような住宅密集地ではなかった事と、新潟は何よりも豪雪地帯でもあり、建物の柱・梁が太く丈夫に作られている家屋も多かったためか、一見、重大な損壊は少ないかに見えました。それでも震度7の揺れによるダメージはは写真の通りであり、復旧作業に要した期間は阪神淡路大震災の時と同じく1ヵ月、延べ123名の人員を送り込んだのでした。

この地域はさらに3年後、震度6強・M6.8の新潟中越沖地震に見舞われることになりました。柏崎原子力発電所の震度計は震度7と表示されたそうです。この時も我々は災害ボランティアとして柏崎へと向かいました。

まず柏崎市長を訪問した際のこと。開口一番、市長の口をついて出たのは「前の中越地震で、ようやく立ち直ろうとしていた時期にまたドカンと…」という言葉でした。
確かにわずか3年で2度の大地震に見舞われるとは、相当大きな精神的負担であることを感じたのでした。
市長への挨拶を終えると、次はボランティアセンターへ向かいました。
阪神淡路大震災からの災害ボランティア活動に於いて、この新潟中越沖地震が、初めて被災地でのボランティア受入れ態勢が整備された時でもあったと記憶しています。

阪神淡路大震災・新潟県中越地震までは、ボランティア希望の民間人がそれぞれ勝手に被災地へ赴いていたのですが、新潟県では2度の大きな震災での経験からか、この中越沖地震からはボランティアセンターが窓口として稼働していました。
それまでは、リュック一つ持っての“物見遊山”と言われても仕方がないような学生さんのような方も多かったのですが、この時は装備が十分でない方々は返されていました。
弊社はこれまでの阪神淡路大震災・新潟県中越地震での2度の災害ボランティア活動の経験が身について来ていたため、ボランティアセンターとの打合せをスムーズに進めることができました。

この時は2007年7月24日~8月7日の15日間にわたってのボランティア活動となりました。
我々は柏崎市が準備してくれた「常盤高校体育館」で寝泊まりをしながら活動を展開しました。辛うじて設備的にあるのはトイレと水道のみではありましたが、相当恵まれていると言って良い環境でした。
夏場の活動であり、クタクタになって体育館に帰ってくると、勝手に我々の布団で寝ている若者もいました。何しろ他では、宿泊施設が無いため、体調を崩して救急車を呼ぶことになるなど逆に面倒を掛ける方々も出ていました。こうした現状から、ボランティア活動の在り方、被災地への向かい方が論じられることとなったのでした。

代表理事 石岡 博実

新潟県中越地震ボランティア活動の記録はこちら

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